輝く女性事例

「高い壁ほど乗り越えることへの
モチベーションが湧いてきます」

ベンダ工業株式会社

  • 製造業
  • 西部
  • 101〜300
所在地 広島県呉市川尻町小仁方1-16-20
URL http://www.benda.co.jp/
所属・役職 取締役 グローバル営業統括兼業務部長
ご本人氏名 進 宏子さん

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1990年~
ベンダ工業株式会社に入社後、製造部に所属し、高周波・詰替え作業、検査を担当。その後、業務部にて、生産管理、出荷管理業務を担当。1998年に退職。

1999年~
退職から1年後、関係会社であるアジア貿易株式会社に入社し、海外工場からの購買業務や、輸出入業務を担当。また、貿易実務B級の資格を取得し、英語を学び始める。

2003年~
ベンダ工業株式会社 業務部課長に昇格し、海外顧客の営業や、国内の購買業務を担当。英語力向上のために通訳学校に通う。
2006年~2010年の間、週末に広島から東京のビジネススクールに通い、MBAを取得。

2011年~
中国の子会社である青島奔達汽車配件有限公司(青島ベンダ)の総経理(社長)に就任する。15年続いた前経営陣が交代し、会長に就任予定だった父(八代恭宏会長)が中国で急逝した中、経営の安定化のために奔走する。

2016年~
中国から帰任後、ベンダ工業株式会社取締役に就任。グローバル営業統括兼業務部長として、営業・購買・出荷・貿易部門の管理を行っている。

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「早く両親を助けたい」という思いで祖父が興した会社に入社

小さな頃から工場の近くで遊んで育ち、祖父母や両親が働く姿を間近で見てきた。
入社当時の1980年代は、人手不足の中、注文が殺到し、生産が間に合わない日々が続いていた。父と母が休みなく働く姿を目の当たりにし、「早く助けたい」という気持ちから、高校卒業後すぐ入社。現場の最前線である製造部に配属されたが、とにかく人が足りず、何でもやらなければいけない状況であった。
取引先からは「早く納品してくれ」と急かされ、製造現場からは「無理なものは無理」と言われ、板挟みに。そこで製造工程や製品、品質に関する知識や生産計画について学び、自ら理解することで、取引先のニーズや現場の状況を日々確認しながら自身で生産計画や調整ができるようになり、それがやりがいへとつながっていった。
この時期、現場主義の厳しい祖父の下、ものづくりの会社において、工場の人たちと汗を流すことの大切さを学び、また、工場の人たちと休みなく遅くまで仕事に励む日々が忍耐力の向上にもつながったと話す。
祖父は早くから海外生産拠点の重要性について認識し、韓国、中国に進出した時期でもあり、その後輸出入業務も始まった。

貿易に英語、仕事に必要な能力を次々に取得し、着実にスキルアップ

type3_benda_1.jpg1998年に一度退職し、1年後、「アジア貿易株式会社」に入社。海外工場からの購買業務や輸出入業務を担当し、韓国・中国の子会社や、インド・タイの関連会社との仕事を通じ、海外事情や貿易を深く学ぶ機会を得た。しかし、現場で得た知識だけでは足らないと感じ、貿易に関する全般的な基礎知識を身につけるため、広島市の専門学校に通い、貿易実務B級の資格を取得した。
当時、インドのジョイントベンチャーから研修生が自社に来ていたことから、その世話役を引き受けていた。しかし英語がほとんど話せなかったため、週末にインドの研修生にA、B、Cから英語を教えてもらう。その後、広島市にある英会話学校に通い始めるが、先生から「インドなまりの英語を話す日本人に初めて会った」と言われていたそうだ。仕事で必要と感じたものは貪欲に学んでいった。

世界を飛び回り、一流に触れ、自分に足りないものを補うべく研鑽

海外業務の担当として、さまざまな国を訪問し、営業やジョイントベンチャーに関する交渉を行う機会を得た。その中で見聞を広め、グローバル社会におけるコミュニケーション方法を学ぶことができたという。
また、取引先であるグローバル企業の経営層の方々と仕事を通じて、交流の機会を持てたことが自身のモチベーションにつながった。特に影響を受けたのはインドのジョイントベンチャー先のオーナー。M&Aで成長を遂げた企業オーナーの経営手腕、どんなポジションのどんな方とでもうまく付き合っていく姿勢に感銘を受けたという。
そんな中、グローバルで通用する経営に関する基礎を身につける必要性を感じ、MBAの勉強を開始。土曜日の朝一番の飛行機で広島空港から東京に向かい、土曜・日曜は麹町で授業を受け、夜広島へ帰宅という日々が続いた。仕事をしながら課題をこなし、何とか単位を取りながら4年でMBAを取得。「4年間、仕事と勉強の両立にもがきながらも、素晴らしい講師や同じ志を持つ仲間と共に、仕事に即活かせるスキルを学ぶことがとても楽しかった。ここで学んだ財務に関する知識、論理的思考などは、その後も役に立っている」と振り返る。

父の急逝後、経営者として中国子会社の体制強化に腐心

2011年に中国の子会社である青島ベンダの総経理(日本でいうところの社長)に就任する。
15年続いた前経営陣が交代し、会長に就任予定だった父とともに体制強化を図ろうとしていた矢先、父が中国で急逝した。頼りにしていた父が亡くなり、初めての海外業務で且つ、総経理という重責により一時は不安も感じたが、その状況が自分を強くしたと言う。海外経験のない副総経理となる2名の日本人幹部とともに現地に赴任することとなる。
最初はまだ、現地の従業員との信頼関係ができておらず、品質問題などさまざまな課題が勃発し、経営はなかなか安定しなかった。そのような中、運動会や小集団活動、改善発表会などの社内活動・行事を開催し、まずはチームワークと相互の信頼関係を構築することに腐心した。日々、中国人幹部やスタッフとのコミュニケーションをひたすら図り、信頼関係が徐々に醸成されてきた中、経営も次第に安定してきた。「私と日本語でたくさん会話をしたので、中国人幹部の日本語が随分上達しました」と進さんは話す。
中国では管理職として活躍する女性は多く、みな言いたいことははっきり言う。本音と建て前があまりない点はやりやすかったそうだ。また、仕事とプライベートのバランスをうまくとっている人が多く、終業時刻になったら割り切って帰宅し、家族のために時間を使うという働き方が主流だ。「中国の方が働き方については日本より進んでいるかもしれませんね。日本では帰り難い雰囲気という理由で残業している場合もあるように思います。」と教えてくれた。
2017年10月に青島ベンダが20周年を迎えた後、進さんは5年2か月の任期を終え、ベンダ工業に帰任となる。

帰国後、取締役に就任。結婚してワークライフバランスにも工夫

現在は取締役に就任し、グローバル営業統括兼業務部長として活躍中である。他の日本の自動車部品メーカーで女性の営業責任者はほとんどいないが、女性であることについてのデメリットは感じていないそうだ。
だから、今後についても、「やりなさいと言われたことは何でもやっていきます。今は、変化の多いこの業界の中で、グローバルにグループ全体の営業をとりまとめ、自分の役割をしっかり果たしていきたい。ベンダグループ全体に貢献していきたいと考えています。」とのこと。今までずっと仕事ばかりに時間を使ってきたが、帰国後にご結婚されたそうだ。夫とは家事の分担表を作成し、シェアしていると言う。「男性も、働き方改革により勤務時間の適正化を図り、家族のため、自分のために有意義に過ごせる時間を持ってほしいと考えています」。

管理職・経営者を目指す女性へのメッセージ

最後に、これから管理職や経営者を目指す女性へのメッセージを尋ねると「やりたいこと、熱意がある方にはどんどんチャレンジしてほしいと思う。私自身は家業なのでやらなければならないという立場ではあるが、責任をもって、自分の裁量で仕事ができること自体はとてもやりがいがあり、楽しいと感じている。女性だから、と臆することはない。しかし、女性は時間が限られる場合があるので、その中でいかに成果を出すかという工夫が必要であり、自己啓発など、男性以上の努力と意気込みが必要な時もある。また、育休・産休などで回りの人にサポートしてもらっていることに感謝する気持ちも大切だと思う。結果を出せば評価は後からついてくる。経営者としては、男女共に家庭においても仕事においても平等に助け合い、働ける仕組みを作っていきたい」と実績に裏付けされた力強い言葉が返ってきた。