輝く女性事例

「仕事と子育てから学んだのは、
感謝と支え合うことの大切さ」

学校法人修道学園 広島修道大学

  • その他産業
  • 西部
  • 301以上
所在地 広島県広島市安佐南区大塚東1丁目1-1
URL http://www.shudo-u.ac.jp/
所属・役職

学校法人修道学園 理事
広島修道大学 財務部長

ご本人氏名 種田 奈美枝 さん

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1979年~
広島修道大学入職、総務課で、来客受付、予算執行、スクールバスの運営等を担当。当時の職場は若い職員が多く、和やかな雰囲気。面倒見のよい先輩のもとで、わからないことは何でも聞くようにしていたが、失敗も多かった。

1985年
第一子を出産。育児休業制度導入の直後であったことから、周りに迷惑をかけて申し訳ないという気持ちから半年間のみ利用した。

1986年~
育休から復帰後、企画広報課に異動。学長・学部長の秘書業務や大学広報全般を担当する。この頃、第二子を出産、子育ての大変さも倍に。第一子と同様半年間の育休を経て仕事復帰。家族、同僚の理解と支援に感謝するとともに、「困ったときは無理せず周囲に頼ろう」と気持ちを切り替え楽になった。

1990年~
国際交流センターで、留学生の派遣・受入、交流事業の企画や運営を行う傍ら、海外協定校との連絡・調整を担当。協定校訪問や学生引率など海外出張も経験。留学生の支援を通して多様性や異文化理解の重要性を学ぶとともに、自身の語学力向上を目指してTOEICの受験などに取り組む。子育てにおいて、第一子が保育園から小学校に入学し、環境の変化が大きく負担や心配事が多かった時期。

1997年~
大学職員として一度は教学の現場で仕事をしたいとの希望が叶い教務課に異動。「インターンシッププログラム」の創設に関わり、新しい制度を作りこむ苦労やおもしろさを体験する。また、教員と職員が同じ目標に向けて協働することで信頼関係が強まり、自身もワンランク成長。同課の係長に昇進。

2003年~
キャリアセンターの課長補佐に就任。子どもの手が離れ時間に余裕が出たので、キャリアコンサルタントの資格(CDA)を取得した。これが契機となりその後の自身の働き方、大学職員としての在り方についても真剣に考えるように。自分の子も大学生であったことから、学生面談ではつい自分の家庭と重ね合わせて考えることも多かった。同センターの担当課長に昇進。

2008年~
学術交流センターに異動。文部科学省の委託事業「社会人の学び直し」プログラムの開発・運営、社会人向け生涯学習講座「修道オープンアカデミー」の開設にも携わる。大学の社会貢献事業が注目され始めた時期と重なり、大学と地域や社会との繋がりを強く意識するようになる。

2010年~
財務課に異動後、課長に就任。予算・決算、中長期財政計画、校舎の建替プロジェクトなどを担当する。また、同課の長時間労働を是正するため、週間ミーティングでの情報共有、短期的な目標と担当の明確化、内容や成果による評価や考課、チームワークの重要性を徹底し、課員一人当たりの時間外労働時間を3年間で75%削減。またこの間、大学院に在籍し修士号の取得も果たした。現在は、広島修道大学財務部長、学校法人修道学園理事に就任し、多方面で活躍中。

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他に先駆け導入された育児休業制度を利用。そして仕事復帰

「女性活躍を目指すなら、まずは女性が変わりましょう。自己のキャリアを自律的に考え、それを女性から発信し理解と共感を広げる。そして『ありがとう』の感謝をたくさん伝えることが大切です」と語るのは、広島修道大学(以下、修道大学)の財務部長である種田さん。現在は、学内の主要会議に出席し、総額100億円を超える校舎の建替プロジェクトを率いる等、修道大学においてなくてはならない存在だ。

今では就業継続のための制度が手厚く整備されている修道大学(修道大学の記事はこちら)だが、種田さんが入職した当時は結婚・出産で退職する女性も少なくなかった。そもそも、公立校の教員や医療職を対象とした「女子教育職員等育児休業法(昭和50年施行)」以外、働く女性に育児休業を認める法律がなかったことも大きな要因であろう。

修道大学で育児休業制度が導入されたのは昭和60年。育児休業法が施行されたのが平成4年であることを考えれば、先進的であると言える。種田さんは、学内で2人目の制度利用者だったそうだ。制度ができたばかりで1年間取得するのを遠慮してしまい、第一子、第二子ともに半年間のみの制度利用だったというが、それでも随分と助かったそうだ。


仕事と子育ての両立に欠かせないのは「受援力」

当時を振り返って「世間的には出産後も子供を保育園に預け、職場復帰する女性は少なく『なんでそこまでして働き続けるの?』と周囲から言われたこともありました。しかし、仕事が楽しくなり始めた頃で、タイミングよく育児休業制度も整ったため退職は考えませんでした。ただ、当時は0歳児の預かりは園が少なく、保育園探しには苦労しました。復帰後は出張などもあったのですが、同じ職場にいる夫と家事を分担したり、時には両親や妹に子どもを預けていました。こうして家族や同僚の理解と支援に頼りながら、困ったときには『ちょっと手伝って』と言える『受援力』の大切さを実感しました」と話す。

この「受援力」について、種田さんはこうも語る。
「子育てや介護中は、残業の時間が制約され、急に仕事を休まざるを得ないこともよくあります。ただ、これを“自分の弱み”だとか“迷惑をかける”等とあまりネガティブに捉えないほうがいい。それよりもその分仕事を工夫して、限られた時間の中でも、きちんと成果を出すことです。それから困ったときに一人で抱えこまない。逆に困っている人があれば進んで援助するというように、『時間管理』と『チームワーク』を心掛けることが大事です。また周囲への感謝は言葉で伝え、気持ちよく支え合えたらいいですね」。

今でも働き続ける原動力の1つには、あの頃助けてくれた周りの人への恩返しという気持ちもあるという。

思い込みや配慮が女性活躍の妨げになることも

制度の利用や周囲の助けを得ながら、復職しても意欲的に仕事を続けてこられた種田さん。総務課からスタートし、企画広報課、国際交流センター、教務課、キャリアセンター、学術交流センター、そして現在の財務部と様々な部署を経験した。修道大学では、5年を目安に部署異動があるが、こういったジョブローテーションは「同じ仕事を5年もしていると新鮮味がなくなってくるんですよ(笑)」という種田さんの性格にうまくマッチし、仕事のおもしろさ、やりがいにつながったという。

現在は財務部長に就任しているが、女性管理職のロールモデルが近くにいたことや、本人にキャリアアップの意欲があったことから、管理職になることには抵抗がなかった。しかし、職位が上がるほど「お客様の中には私と男性職員が並んでいると、男性職員の方が上位職だと思われる方もいらっしゃるようで、名刺を見て『はっ』と気づく仕草をされることもあります。そのあと、必要以上に気を遣われたり、距離をおかれたりすることもありますから、女性管理職はまだまだ標準的ではないようですね」と話す。このように役職に関わらず、「重要な仕事を任されているのは男性」といった「アンコンシャス・バイアス(無意識の思い込み)」は、女性活躍が比較的進んでいる学校法人においても時々感じることがあるようだ。

また、「育休明けや子育て中の職員に過剰な配慮をする上司もいますが、これは見方を変えると排除にもつながりかねません。良かれと思って負担の少ない業務にあてても、本人の意向とマッチしているとは限りません。ステレオタイプは捨てて対話を重ねる職場環境があれば、やりがいのある仕事、将来につながる仕事を継続することができます。この点に関しても私は上司や同僚に恵まれている」と話す。

ワークライフマネジメントで仕事にもシナジー効果が生まれる

悩むこともあるが、管理職としてのやりがいは大きい。「職位が上がれば、自分で考えて決め、実行できる範囲が広がります。もちろん、その分、責任を伴いますが、組織の発展に寄与できている実感も大きく、仕事の満足度が上昇しました。女性に限らず責任のある職位に就くことをためらう人も多いですが、期待されればなんとか応えたい」というのが種田さんの思いだ。

また、昨今話題になる「ワークライフバランス」については、時間的な「バランス」よりその「マネジメント」が重要だと語る。「ワークとライフが5:5だから良いというものではありません。その中身が問われますし、そのバランスも個人個人で異なります。時間制約の中で仕事や家族とどう向き合うか、それを決めるのは自分です。子育ては思うようにはいきません。ですが、そこから学んだことは貴重で、その経験は、直接的、間接的に仕事に生かすこともできます。ワークとライフのシナジー効果がどんどん生まれてくれば組織はもっとおもしろくなります。」と話す。

多様な立場、経験、価値観がイノベーションの源となり、組織の競争力を高める。「自分の経験が、これからの女性の働き方や組織に役に立つのであればできる限り協力したい」と話す種田さん。女性活躍が進んでいる、いないに関わらず、種田さんのようなロールモデルの存在は様々な企業、働く人にとって重要なヒントになるだろう。