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輝く女性事例

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パート従業員から執行役員に。
大切なのは仲間への感謝と笑顔でいること

ペアコム株式会社

  • 製造業
  • 福山市
  • 31〜100
社名 ペアコム株式会社
所在地 福山市駅家町倉光134-1
URL https://www.peacom.co.jp
所属・役職 執行役員製造本部長兼工場長
ご本人氏名 日谷 日砂美 さん

(2018年9月現在)

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1979年~
高校を卒業後、家具の製造販売会社へ入社し、事務を担当する。結婚後、第一子妊娠を機に退社し、11年間は子育てに専念する。

1995年~
ペアコム株式会社(以下ペアコム)にパート従業員として入社し、製造現場でブレーカーの組立を担当する。入社翌年からはリーダーとなり、1つの部署(WSS部署)を任せられる。

2011年~
子育てが一段落したことをきっかけに、正規従業員となり、WSS部署に加え、新製品の製造を開始するにあたって作られた新しい部署(WSV部署)も任せられる。2つの部署を同時に見るようになったが、新規部署の収益性を短期間で改善させ、急な増産要請にも対応するなど、やりがいを感じるように。

2012年~
買収した瀬戸工場の工場長となり、工場の立て直しに奔走する。整理整頓ができていない、何名かの従業員が反発し、退職するなど苦労続きだったが、なんとか赤字から脱し、自己の成長を最も感じるいい機会を得る。

2016年~現在
本社に戻り、執行役員製造本部長兼工場長に就任。赤字部署の収益改善や部下の育成などに取り組む。

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パート従業員も経営感覚を持つための学ぶ機会が充実

現在、執行役員製造本部長兼工場長として重責を負いながらも明るく元気に活躍中の日谷さん。電子機器・電気部品の製造を行うペアコムとの出会いは、新聞の折り込み広告だったそう。

当時、第二子が2歳であったが、11年専業主婦として過ごす中で、「もっと社会と関わりたい」、「働きたい」と思って、常に求人広告を眺めていた。「製造の経験は全くありませんでしたが、募集広告に書かれていた社長の言葉から『社員のことを考えている会社だな』と感じ、面接を受けました」と日谷さん。

パート従業員として入社し、ブレーカーの組立作業を担当したが、案外できる、と感じたそう。学校のイベントには必ず参加するなど、子育てと両立しながら働いた。どうしてもという時は、子供を会社に連れてくることもあり、外回りの従業員が相手をしてくれるなど、アットホームな雰囲気であったという。

入社して約1年後、前任者の急な退職により、現場のリーダーとなり、1つの部署(WSS部署)を任せられた。自称“負けず嫌い”という日谷さんは、月に1度発表される収支報告で自部門が目標を達成したり、他部門よりいい成績を収めるためにチームで精一杯努力して成果を挙げたりすることが楽しいと感じるようになった。

自分でできることは進んで引き受け、周囲の方に感謝しつつ頼ること、パート従業員であっても勉強することが大切だと実感したそう。ペアコムでは「マネジメントゲーム」という研修を通して、自分が社長になって仕入、生産、販売、人材育成や設備投資、会計処理や決算書の作成などを疑似体験し、経理や経営の知識を学ぶ機会がある。パート従業員もこうした研修を受講し、経営の基本的なことを理解し、経営感覚を身に付けて、将来に向かって何をすべきかを考える習慣をつけるのだという(株式会社ペアコムの企業の記事はこちら )。

目標に向かって、成果を挙げるために考えて、工夫していくことがとにかく面白かったと、日谷さんは振り返る。

正規従業員になってわずか1年で工場長に。赤字工場の立て直しに奔走

入社から16年たち、子育てが一段落した頃、正規従業員となり、これまで担当したWSS部署に加え、新製品の製造を開始するにあたって作られた新しい部署(WSV部署)も任せられ、2つの部署を同時に見るようになった。

新規部署の収益性を短期間で改善させ、高い品質を守りつつも急な増産要請に対応するなど、ミッションをクリアするたびにやりがいを感じるように。作業の外注化を進めたり、従業員それぞれをできるだけ得意な作業へ配置したりするなど、いろいろなアイデアを出して実行し、常に高い目標を掲げ、どうやったら目標達成ができるかを考える習慣がついた。そして、自分自身はもちろん、チーム全体で高いモチベーションを維持することで、過去最高収益という成果につなげ、取引先からも感謝されることとなった。

そんな中、正規従業員となった翌年、買収した瀬戸工場の工場長となり、赤字工場の立て直しに当たることとなった。

初めて務める工場の最高責任者として、WSV部署での経験を生かし、必ず結果を残そうと意気込んでいた。しかし、今までとは違い、作り上げられた経営理念はなく、社風も、人も違った。おまけに工場は暗く、整理整頓もなされていない。やること全てに対して周囲からの反発が起こり、何名かの従業員が退職するなど、想像以上に大変だった。

製品の不具合など問題事例も多く発生し、取引先から電話で怒鳴られることもあり、電話を取るのが怖くなった。気が付けば、日谷さんの顔から笑顔が消えていた。「何で、ここで働く社員さんたちを助けるために頑張っているのに感謝されないのだろう。今までのようにうまくいかないのだろう」と涙することもあった。本社の社長に相談すると「工場の責任者なのだから!」と喝を入れられつつも、「大丈夫だから。思うようにやりなさい」と励まされた。

そんな時、あるベテランの従業員から「私たちを助けてくださってありがとうございます」と言われた。その言葉で、日谷さん自身に感謝の気持ちが足りていなかったことに気付かされたという。この工場で何年も働き、頑張ってきた従業員がいる。分からないことを教えていただくという、謙虚な姿勢になることの大切さを教えられた。また、過去の成功は通用しないということも知った。相手を認めて感謝する、日谷さんを支えてくれる方々に感謝することが、ともに仕事をしていく仲間のモチベーションを向上させる上で重要であると。

そして、日谷さんは笑顔を取り戻し、みんなが喜ぶことをとにかくやったそうだ。女性従業員が多い工場であったため、トイレットペーパーをピンクにし、食堂をきれいにし、工場を整理整頓して、作業がやりやすいように表示を付けた。給与明細に“ありがとうカード”をつけて、一人一人に手渡した。そして、楽しく仕事ができるようになるにつれて収益性は改善していったそうだ。

「今思い出しても、涙が出るほど苦しい日々もありましたが、なんとか赤字から脱しました。今までの人生で、自分の成長を最も感じられるいい機会をいただいたと感謝しています」。

執行役員としての次の目標と、働く女性へのメッセージ

本社に戻り、執行役員製造本部長兼工場長に就任し、さらに活躍の範囲を広げることになった日谷さん。役員就任にあたっては、1年半にわたって、全国から集まった経営幹部とともに社外研修を継続的に受講し、経営者としての考え方や知識を得て、幹部が会社を支えることの重要性や経営者である社長の大変さがわかったという。

そして、今執行役員として、これまで通り収益性を追求していくとともに、人材育成に最も力を入れているという。

peacom03.jpg「みんなを育てたいという気持ちが強くあります。振り返れば、パート従業員時代からマネジメントゲーム、理念と経営勉強会、13の徳目朝礼、IT勉強会などで学んできたことが、今も役立っていると感じています。『勉強しなさい』と言ってやらせるのではなく、私が学び、見本になることで、周りに気がついてほしいと思っています」と、学ぶことの重要性を語ってくれた。

さらに日谷さんは、次世代の幹部の育成や、子育てにおいても“しんどい”という顔を見せないようにし、いつも笑顔でいることを心掛けているそうだ。「仕事は自己犠牲ではなく、自身を成長させる機会です。私の一生懸命な姿を見て、仲間がついてきてくれているようです。とにかく、チャレンジすることの楽しさを伝えていきたいと思っています」と、満面の笑顔で力強く語ってくれた。