輝く女性事例

「制度を活用し、家族の協力を得て、力強く夢を叶えていく日々」

株式会社ヒロテック

  • 製造業
  • 広島市
  • 301以上
社名 株式会社ヒロテック

所在地

広島市佐伯区石内南5-2-1
URL https://www.hirotec.co.jp/index.html
所属・役職 人材開発センター 人材開発課 課長
ご本人氏名 有重 三紀子 さん

(2018年12月現在)

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2003年~
新卒で派遣社員となり、株式会社ヒロテックへ派遣され、自動車部品開発・量産営業を担当。2005年には正規従業員へと登用される。

2006年~
第一子出産のため、約1年間の産休育休を取得。2010年には班長へと昇格。その後、2013年に第二子出産に伴い、約1年半の産休育休を取得。

2015年~
会社から県立広島大学大学院(経営情報学修士)の1年過程へと派遣される。グローバル経営に関する研究を行う。

2016年~
人材開発センターの設立メンバーとして活躍。

2018年~
課長昇進により、社内初の女性管理職へ。

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自動車部品製造会社に派遣され、当時珍しい女性営業職に

株式会社ヒロテック(以下、ヒロテック)における初の女性管理職として活躍する有重三紀子さん。有重さんが就職活動をした学生の頃は超就職氷河期といわれ、なかなか就職先が決まらず、2003年に新卒の派遣社員となり、同社に派遣された。

「専門職の派遣社員として、自動車部品開発・量産営業の仕事を始めました。しかし、営業や車に関する技術的な知識はゼロで、技術エンジニアの方に図面の読み方なども教えていただき、一から覚えていきました。当時の社内では、“営業は男性がする仕事”という色が濃い中、私は数少ない女性の専門職の派遣社員だったということで、自動車メーカーへの顧客訪問など、営業の第一線の仕事からキャリアをスタートすることができました」と、有重さんは振り返る。当時の上司が、男女区別なく仕事を与えようという、フェアな姿勢であったことにも感謝しているという。また、自動車部品メーカーの女性営業職は珍しく、お客様に覚えていただきやすかったともいう。上司からの提案で、2005年には正規従業員へと登用され、営業の仕事を続けた。

初めての子育て。夫との役割分担・関係に苦労しつつも、仕事と家庭を両立

2006年に第一子の出産に伴い、約1年間の産休育休取得後、職場へフルタイム(8:15〜17:15)で復帰したが、仕事と子育ての両立には苦労したという。 「父親である夫よりも、母親の私の方が育児に対して多くの時間を割いていました。そんな中でも、私は仕事が好きでこれまで通り続け、上も目指したいと考えていましたが、夫は家庭を重視することを望み、また私に子育ての多くを期待したため、対立してしまうこともありました」。

ヒロテックは2008年頃から女性にも男性と同様の役割を与え、教育・育成することを始めた(ヒロテックの企業記事はこちら)。 「当時、担当者として営業部門に所属していたのですが、2008年頃から、徐々に雰囲気が変わってきたことが現場にも伝わってきました。2010年に班長に昇進しました」と、有重氏も振り返る。

2013年に第二子出産に伴い、約1年半の産休育休を取得し、職場復帰。「その頃は、仕事におけるポジションもある程度確立できていました。育児休業はしっかりとって、子育てしたほうが良いと考え、会社の制度を利用して、約1年半のお休みをいただきました。復帰後は、新規案件など、チャレンジングな仕事も任され、充実していました。一方、夫婦関係は悪化。育休中のようには子育ても家事もこなせないまま仕事への比重が高まる私に、夫からの不満が増え、そんな夫の態度に私も不満が募っていました」。

hirotec_1.JPG実は、有重さんの夫は、「女性は一般的に社会での活躍よりも、家庭で重要な役割を果たすことを期待されてきた文化」を持つトルコのご出身。そんな保守的な夫との関係を改善しようと、なんと「夫婦関係セミナー」に参加し、今までの自分を反省したそうだ。 「夫が幸せになるために何か全力でやったことはあるか、と尋ねられましたが、思い当たらなかった。そこで、夫が喜ぶことをリストアップし、全力でやってみることにしました」。

それをきっかけに、家庭・仕事ともに良い方向に向かった。「夫を変えるより先に自分から変わることを学びました。今、私の一番の応援者は夫です!」と笑顔で話す。

大学院での経営情報学修士取得に、家族一丸となってチャレンジ

有重さんは、社内の選抜者として県立広島大学大学院に2015年に派遣された。 「私より前に派遣された10名の先輩はいずれも男性で、私が女性従業員としての初めての選抜でした。上司から話を受けたときは、2人の子育て中で不安な面もありましたが、会社の将来的課題を考えてみたいし、二度とないチャンスかもしれないと、チャレンジしました」。 1年間で、授業を受けて論文も執筆しなければならず、これまで同様の仕事、勉強と本当にハードな日々となった。推薦をしてくれた上司をはじめ職場でも時間確保に協力してもらい、夫が全面的に協力し、家事と育児をほぼ引き受けてくれたという。そして、グローバル経営に関する論文を書き上げ、無事に修士号を取得。 「知識をインプットし、会社について客観的にじっくり考える機会を得て、経営的な視点を培うことができました。それが、今の人材開発センターでの仕事に直結し、大変役立っていますし、会社へ還元したいと思っています。また、この苦しい時期を夫婦で乗り越え、お互いの成長にもつながったと思います。子供が、学校の作文で『お母さんは頑張り名人』と書いてくれたこともうれしかった」と、人間的に大きく、ステップアップする機会となったようだ。

2018年に人材開発センター人材開発課の課長へ昇進し、さらなる活躍が期待される有重さん。 「自分が描くキャリアを自分で創っていくことが大事です。そのために、仕事だけでなく夫婦関係や親子関係など、プライベートもともに充実させて欲しいです。また、どの人にも可能性があります。それを開花させるのは自身の力量。人材開発担当としては、それをしっかりバックアップしていきたいです」。 これからは、同社の女性比率を上げること、男女共に働きやすい職場づくり、人材開発に力を入れていきたいと語る。

力強く、しなやかに、有重さんのチャレンジはこれからも続く。