もちーと ひろしま
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輝く女性事例

「不器用だった自分だからこそ、後輩の悩みを理解して支えていけるはず」

新広島ヤクルト販売株式会社

  • 卸売業・小売業
  • 広島市
  • 101〜300
社名 新広島ヤクルト販売株式会社
所在地 広島市西区福島町1-23-13
URL http://www.shinhiroshima-yakult.co.jp/
所属・役職 広島本社宅配営業部 企画推進課 課長代理
ご本人氏名 神田 善子 さん

(2019年8月現在)

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1988年~
婦人服ブランドの販売員を担当。接客、展示会の開催、商品の買い付け等行う。その後、結婚・出産を機に6年間育児に専念。

1997年~
第二子の出産後、就職活動を行い、派遣社員として通信関連会社で勤務し、パソコン作業および電話対応業務に従事。育児と仕事の両立に悩み、女性が働きやすい環境づくりについて考えるようになる。

2003年~
安芸ヤクルト販売株式会社(現、新広島ヤクルト販売)のヤクルトレディとして訪問販売を行い、着実に経験と実績を重ねる。

2007年~
社員として登用され、県内各所に設置されるヤクルトレディの拠点であるセンターの責任者「センターマネージャー」を務める。

2013年~現在
センターマネージャーの教育指導等を行う「ブロックマネージャー」へ昇格。現在は、企画推進課 課長代理として、新入社員およびセンターマネージャーの教育支援を行う。

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第二子出産後に再就職するも子育てとの両立に悩んだ前職までの日々

新広島ヤクルト販売株式会社(以下、新広島ヤクルト)で、課長代理を務めている神田善子さん(以下、神田さん)は、ヤクルトに関わり続けて今年で16年となる。子育てと仕事で慌ただしく過ごし、若手時代に経験した多くの苦難を糧とし、明るく楽しいチームづくりを目指して走り続けてきた神田さんのこれまでとこれからについて聞いた。(新広島ヤクルトの企業記事はこちら)

婦人服ブランドの販売員として接客業務に従事した後、結婚・出産を機に6年間育児に専念した神田さんは、第二子出産後に再び就職活動を行った。前職の採用面接時、「子供が熱を出したときはどうしますか?」という質問をされ、とっさに「両親に預けます」と答えたが、実際は両親も共働きで頼れない状況だったそう。無事に通信関連会社で勤務し始めたものの、子供が病気をしたときは、頼れる人を片っ端から見つけて、何とか仕事を続けるという大変な状況だった。

「当時はまだ、結婚して子供を産んだら仕事を辞めて家庭に入るのが当然、と考えられていた時代でした。小さな子供二人を抱えてフルタイムで働くことの難しさ、自分が休まなければいけないときの職場での肩身の狭さなどで、息苦しさを感じていました」と当時を振り返る。

子育てと仕事の両立に悩みながらも「6年間ブランクがあるのだから、ここは社会復帰の勉強の場なんだ」と、自分自身に言い聞かせ、不慣れだったパソコン業務に対応できるよう、自宅にパソコンを購入し、独学でスキルを磨くなど、常に努力を続けた。「前職では社会人としてのマナーやパソコンスキルなどを、改めて身に付けることができました。しかし、子育てとの両立の辛さを感じ、働き方の多様性について考えるきっかけにもなりました。この経験は管理職になった現在に役立っているように感じます」と話す。

ヤクルトレディに転身し、管理職へもチャレンジ

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以前の職場にお届けに来ていたヤクルトレディに誘われたことをきっかけに、安芸ヤクルト販売株式会社(現在は新広島ヤクルトと合併)でヤクルトレディとして働くことに。昔から人前で話すことに苦手意識があった神田さんは、笑顔で元気よく話すヤクルトレディの姿に惹かれ、「自分もこうなりたい。もっと社会性を身に付けたい」と思ったのだそうだ。

「前職では他のスタッフに頭を下げてシフトを変わってもらい、迷惑をかけてしまう後ろめたさがストレスになってしまうことがありましたが、ヤクルトレディになってからは、“明日は子供の学校行事があるから早く帰りたい。そのためにも今日中に目標数をお届けしておこう”、という風に、自分の裁量次第で働く時間や業務量を調節できることがうれしかったです。家事や子育てと両立し、似たような環境で働いている仲間がたくさんいたので、協力し合えること、頑張った分だけ収入に反映されることも魅力的でした」。

神田さんは、最初こそお届けして販売することに苦手意識があったものの、着実に経験と実績を積み重ね、ヤクルトレディ3年目には、センターを取り仕切る責任者であるマネージャー職にスカウトされた。

「最初は、扶養控除の範囲内でと考えてヤクルトレディの仕事をしていました。社員であるセンターマネージャーは自分には務まらないと考え、お話しをいただいたのはうれしかったのですが、1年近くお断りしていました。しかし当時、反抗期で色々と悩んでいた娘に対し、母親である私が挑戦して、頑張る姿を見せたいと考え、マネージャーにチャレンジすることにしました」。

職場内の「楽しさ」だけでなく、家庭の充実も重要視した「楽しさ」の追求

センターマネージャーはヤクルトレディの育成、スキルアップの後押し、センター実績管理などを担当するが、神田さんが配属されたセンターは当時ヤクルトレディが広島県内で最も多い拠点だった。人を束ねること、女性ばかりの組織をまとめる難しさを痛感したそうだ。「最初は、“みんなが楽しく仕事ができるセンター”を目指していたのですが、うまくいかず、その考えが甘いことに気が付きました。実績を上げさせるという厳しさも必要だと考えるようになりました」。それからは「仕事・生活ともに楽しいセンター」というビジョンを持ち、常に言葉にし続け、個別に対応していくことで、次第にまとめていくという手応えを感じるようになったそうだ。

「私自身、何でも器用にこなすことができる性格ではないので、その分、人の苦労を理解することができたのだと思います。管理職になり、人をまとめる立場になったとき、“不器用でよかった、これまでたくさん失敗したり悩んできてよかった”、そう思いました」。

課長としての次の目標と、働く女性、後進へのメッセージ

本社に戻り、企画推進課の課長代理に就任し、センターマネージャーや新入社員の育成や実績UPのための施策などで、さらに活躍の範囲を広げることになった神田さん。ヤクルトレディから見たセンターマネージャー像をなりたいものへと変えていくためにも、時代の流れに合わせた育成内容にするよう意識しているという。

「当社では多くの女性が小さなお子さんを育てながら働いています。過去には繁忙期に、定時に終わることができず、仕事と子育ての両立に悩んで転職した仲間もいましたが、今では定時退社の促進が強まり、ずいぶん改善されました。今後も継続的に改善に取り組んでいかなければならない課題だと思っています。そして、ヤクルトらしく、幅広い世代の方が生き生きと勤められるよう、引き続き業務を見直していきたいと思っています」。

さらに神田さんは、「いつか自分がいなくなったとき、その先もいい会社であり続けてくれるのが理想です。そのためには、まずは自分自身が長くやりがいを持って働き続け、後進にその姿を見せられたらと思っています。とにかく、自分の可能性を狭めることなくチャレンジすることの大切さを自ら伝えていきたいと思っています」と、力強く語ってくれた。