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輝く女性事例

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壁にぶつかるたびに周りに支えられ、乗り越えた。大好きな保育の仕事を続ける幸せ

学校法人広島YMCA学園 東広島YMCAウエルネススポーツセンター

  • サービス産業
  • 東広島市
  • 101〜300
社名

学校法人広島YMCA学園 東広島YMCAウエルネススポーツセンター

所在地 東広島市西条西本町28-6 サンスクエア東広島4
URL http://www.hymca.jp/higashihiroshima/
所属・役職 センター長 総合幼児園園長
ご本人氏名 岡田 恵美 様(かぼちゃリーダー※)

YMCAでは指導者の事を「リーダー」と呼ぶ

2021年2月現在)

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1990年〜
東広島YMCAウエルネススポーツセンターのスタートアップメンバーの一人としてアルバイト入社し、2年後には母体である学校法人広島YMCA学園にて正社員登用。同センターのメインスタッフとして、さまざまなプログラムを運営。

2002年〜
結婚し、出産。3カ月の産前産後休業期間を経て復帰。

2015年〜
西条プラザの閉鎖に伴い、サンスクエアに移転。事業の集約化を図り、経営を立て直すなど、管理職として苦しい時期も経験。

2020年~
センター長就任。総合幼児園と学童保育に事業を集約して運営。

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1. 「結婚したら辞める」組織風土を破り、産前産後休業取得第一号に

東広島YMCAウエルネススポーツセンター(以下、東広島YMCA)でセンター長兼総合幼児園園長として活躍する「かぼちゃリーダー」こと岡田恵美さん。底抜けに明るい笑顔がとても印象的で、おおらかな雰囲気の女性管理職だ。
「幼い頃の夢は、体育の先生か保育士」で、スポーツが大好きな少女だったそうで、小学校6年生から高校卒業までバスケットボール一色の生活を送った。大学進学に際し、バスケットボールの名門大学に進学を希望したが叶わず、縁あって広島YMCA専門学校に進学。ダイビングやエアロビクスなど、さまざまなインストラクター資格を取得したそう。

卒業後は、学校法人広島YMCA学園に入社。東広島YMCAにメインスタッフとして着任する。当時、就学前学齢(3歳児)向け保育プログラムや、スイミングやフィットネスといったさまざまなプログラムを運営していたそう。
「保育とフィットネスのインストラクター業務を兼務していて、とても忙しかった」と振り返るが、20代は幼い頃の夢だった体育の先生と保育士のどちらも叶えられる環境で、大好きな仕事に没頭し、充実した日々を送った。当時から、子供の喜ぶこと、成長につながることを自ら考え、保育プログラムに取り入れるということができ、やりがいを感じていたそうだ。

2002年に結婚・妊娠するが、当時の産前産後休業の期間は3カ月で、その制度を利用した例は法人内で前例がなかったそう。「結婚したら退職するのが当たり前の時代でしたが、大好きな仕事だったし、辞めたくなかった」と妊娠後も仕事を続けた結果、勤務中に破水し同僚に病院に担ぎ込まれた。早産で入院という困難を乗り越え無事出産し、3カ月の休業期間を経て復帰した。

「復帰後は、母が仕事を退職してくれ、全面的に子育てをサポートしてもらいました。娘が中学生になってからは、義理の母に面倒を見てもらい、二人のおばあちゃんに育ててもらったという感じです。仕事と子育ての両立は大変でしたが、辞めるという選択肢は全く思い浮かばなかったですね」。
岡田園長が子育てしながら働くといった前例をつくり、充実した育児休業制度も整備され、今では後進たちが結婚、出産した後も働き続けられる環境となっているそうだ。

2.幾度となく経験したピンチも、周囲の支えで乗り越えられた

「今の自分があるのは、他のリーダー、保護者をはじめ、全て周りで支えてくれている方のおかげです」と、岡田園長は言う。1993年に総合幼児園となり、第1期生は今年28歳になるそうだが、世代を越えて通わせる保護者も出てきたそう。
「当園の楽しい行事は全て、保護者が考え、形にしてきてくださったものが、脈々と受け継がれています。私たちは、いつも子供たちや保護者に寄り添い、声を聴きながら一緒に園をつくってきました。ニーズが変わり、少しずつ変えてきたこともありますが、保護者からのサポートは変わりません」。

リーダーの中には、元園児の保護者も多くいるそうで、「保育士資格を持った方に声をかけ、仲間になってもらったりもしました。長年勤めるリーダーが多く、みんなのおかげで今の東広島YMCAが続いていると言えます」。

2015年には、入居していた商業施設の取り壊しに伴い、移転の為のプロジェクトチームが組まれたそう。岡田園長もそのメンバーの一人として、『新・東広島YMCA』の移転先探しに奔走するも、なかなか候補となる施設が見つからず、「東広島YMCAがなくなるかも」という危機的な状況に陥ったという。途方にくれていた時期に、隣接するビルの所有者から「是非、うちのテナントとなり、ビルに活気を取り戻してほしい」と願ってもみない提案をもらい、「まさに天の助けのように感じました。さらに、資金も限られる中、20人以上の保護者が引っ越しに協力してくださって、本当にありがたかったです」。

無事移転を終え、再スタート切るも、移転先では、今まで通りのプログラムの運営が難しく、経営的に厳しい状況が続き、再び閉園の危機が訪れたのだそう。
「保護者の方が『東広島YMCAをなくさないで』と立ち上がり、各方面に交渉・説得するなどしてくださいました」。保護者の熱意に支えられて存続が決まり、事業を絞り、効率化を図るなどして持ち直した。学童保育は、募集初日で定員オーバーとなるほど、人気の施設となっているそうだ。

3.プレーヤーからマネジャーへ。信頼して任せられるスタッフが育ち、より経営的な立場へと役割も変化

DSCF6173.jpg東広島YMCAの設立時から、中心的役割を担い、常にリードしてきた岡田園長だが、最近は他のスタッフに任せることも増えてきたそう。「これまでずっと、自分が考えたやり方に周囲が合わせるといった形でしたが、仕事もプライベートもさまざまな経験を経て、任せる方向にシフトしてきました。例えば、行事の一つを全て他のリーダーに任せてみると、主体的に考えるようになり、輝きはじめるんです。私よりも良いアイディアが出たりします」。
そして、自身はより経営的な立場へと、役割がシフトしつつあるのだそうだ。

プライベートでは、子育ても一段落したそう。「娘もYMCAでたくさんの経験をし、リーダー達にかわいがられて成長しました。最近はボランティアとして、サマーキャンプなどにリーダーとして参加するようになりました。私の仕事を理解してくれて、一緒に活動できるのはうれしいですね」と、笑顔が溢れる。

移転を経て、再び軌道に乗って運営が安定してきたというが、今後チャレンジしたいことについて聞いた。
「時代が変わり、共働きが当たり前になりました。就労はもちろんですが、核家族化が進む中で、子供と2人きりで過ごし、悩みを打ち明ける人もいなくて、行き詰まってしまうお母さんもいます。そういった保護者にも寄り添っていきたいという意味で、2歳児の受け入れ強化を進めたいと考えています。とにかく子供たちがかわいくて大好き。子供たちの喜ぶ顔が見たいし、家に帰って、お父さんお母さんに話したくなるような経験をたくさんさせてあげたい。そのためにやれることはなんでもやりたいと思います。私にとっては、仕事というよりライフワークです」。

これからも東広島エリアの子育てインフラの一つとして、保護者が安心して子供を預けられる場所であり、子供たちが安心して過ごせる場所を提供していく。かぼちゃリーダーからは、強い意志と優しさ、懐の深さを感じた。