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輝く女性事例

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「今いる場所で咲くことで次のチャンスにつながって」

リョービ株式会社

  • 製造業
  • 府中市
  • 301以上
社名 リョービ株式会社
所在地 府中市目崎町762
URL https://www.ryobi-group.co.jp/
所属・役職 管理本部情報システム部 部長
ご本人氏名 井門 忍さん

(2019年9月現在)

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1993年~
大手重工業メーカーの開発担当として入社。入社5年目までに新技術開発に関する調査・開発・現場への導入といった一連の流れを経験。

2000年~
電子製造業に転職し、最初は給電装置を、次に電子線照射装置を大学研究室と共同で開発する業務等に従事。また、米国企業との共同開発プロジェクトのメンバーに選ばれ、初の海外出張を経験。

2004年~
ソフトウェア開発会社を起業。これまで行っていた開発業務のみならず、経理・労務・営業など、会社運営に必要となるすべての業務を自身で行う。

2018年~
リョービ株式会社へ入社し、情報システム部課長に就任。

2019年5月~現在
情報システム部 部長に就任。
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女性の少ない業界でも臆さずにやるべきことに邁進し、道を開く

リョービ株式会社(以下リョービ)で情報システム部部長を務めている井門忍さん。これまで光工学分野で技術者、自身で会社を立ち上げるなど、そのキャリアは多岐にわたる。常に学びの姿勢を忘れず、仕事に向き合い、活躍する分野の幅を広げてきた井門さんのこれまでとこれからについて聞いた。(リョービの企業記事はこちら)

井門さんは大学で物理を専攻し、光工学や衝動波について研究を行った。学生時代に得た知識や研究内容を仕事で生かしたいと思い、大手重工業メーカーに就職。入社2年目からは非接触給電装置(※)の開発プロジェクトに従事し、入社5年目までに、技術開発に関わる調査・開発・導入といった一連の業務を経験した。また、井門さんが担当したチームが、新システム開発に大きく貢献したとして、社内の開発センター長から表彰をうけるなど、着実に成果を残していった。

「女性の少ない業界でしたが、これまで『女性だから』と意識をする経験はありませんでした。また、最初の配属先が20代~30代前半と、若いメンバーで構成されていたためか、自ら考えて動かしていくような業務を任せてもらえる環境にありました。プロジェクトのメンバーとして責任をもって関わる中で、成し遂げた時の達成感を感じることができましたし、それが仕事のやりがいにつながっていきました。若手の頃に、みんなが同じ目標に向かって努力し、仕事を進める面白さを知ることができたことは、今のキャリアに生かされていると思います」。
※非接触給電とはワイヤレスで行う電力供給のこと

組織の中の技術者から経営者へと転身

その後、井門さんは電子製造業へ転職し新技術開発を行った。社内には無い技術を利用するため、大学との共同研究も含め社外から知識や技術を短期間で学びながら開発していく必要があった。不安やプレッシャーを感じることもあったというが、「自分がやるしかない」と言い聞かせながら取り組んだという。

そして、井門さんは大きなチャレンジに出る。2004年、仲間と共に、自らソフトウェア開発会社を立ち上げたのだ。「これまでハードウェア中心の開発を技術者と共に行っていましたが、その中でソフトウェアならではの"失敗と成功を繰り返しながらより良いものを作り上げていく過程"に興味を持ち、やってみたい!と思いました。また、これまで社内で携わってきた幅広い業務経験と、そこで培ったスキルを活かして会社をやっていけるような漠然とした気持ちがありました」と井門さんは起業に至った理由について教えてくれた。

画像処理システム・超音波伝搬シミュレーションソフトウェア等の開発や運用等を行うこの会社は、すぐに大学発ベンチャー称号授与を受けた。起業後は、お客様との折衝や企画をはじめ、経理・労務・営業など会社経営に関わる業務を自力で行った。

「企業活動の一連の業務を行ったことで、経営は創造的な面と、泥臭いことの両面があることを痛感しました。雇われる側から雇う側になったことで、仕事に対する視点が大きく変わるきっかけにもなりましたし、技術開発の仕事をしていたら、恐らく一生携わることのなかったような事務的な業務も、いや応なしに学び、こなすようになりました。会社員の時よりも業務量が多く、忙しくはなりましたが、自分で物事を決めていく楽しさや、これまでとは違うやりがいを感じることができました。経営者として働いた経験は、現在、管理職を勤める上でも大変役立っていると思います」。

また、組織の垣根を越えて、大学教員や学生と関わる機会も多くあったという井門さん。中でも研究者であり、画像処理関連の第一人者として活躍していた女性教授の存在は井門さんにとってのロールモデルとなったという。「女性教授は、民間企業へ就職後にアメリカと日本でそれぞれ修士号を取得、その後教授になられた方でした。その間、二人のお子様も育てられ、研究職と家庭、そして大学運営にも常に尽力されていました。管理職になり、年齢的にも業績的にも審査員側に立たれる立場になっても、自らがプレイヤーとしていつまでも現役で活動に取り組まれていました。女性ということで、教授になるまでには苦労もあったと聞いていましたが、職位が上がるにつれ、その足枷もなくなっていったとお話ししてくださったのが印象的です。その教授に非常に刺激を受け、自分に制限をかけず、チャレンジを続けていけば道は開けるんだと、感化されました」。

入社2年で部長職へ、後進へのメッセージ

自身で立ち上げた会社を13年続けた後、仲間に会社を託して、新たなフィールドを探した。そして、現職であるリョービ株式会社へ入社し、情報システム部の課長に就任した。新しい会社、新しい立場でのチャレンジ、慣れない部分もあったというが、同時期に転職し、管理職に登用された、手塚雅子さん(人材開発課課長)の存在にも支えられたという。

入社から約1年後の2019年5月、部長に昇格した井門さん。「部長の話があったときは声を上げてしまうほど驚きましたし、不安もよぎりました。しかし、会社からの期待を感じたことや、自分自身も部署をより良い形へ変えていく必要性を感じていたので、『自分ができることを最大限やってみよう』と引き受けました」。

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さらに井門さんは、「過去を振り返ってみると、やってきた全てのことが今の自分につながっていると思います。若い時は、得意な分野や、興味のあることがしたいと考えてしまいがちかもしれませんが、『何でもチャレンジしてみること』、そして、『まずは今いる場所で自分を咲かせてみること』が大切だと思います。自分の強みや弱みは自分から見えているようで、案外見えてないことも多いものです。周囲のアドバイスを素直に受け止め、前向きに取り組んで行く中で、きっと道は開けてくるのではないかと思っています。私自身、部長という責任の重さを常に感じていますし、チャレンジの連続ですが、周囲の力を借りながら前向きに取り組んでいきたいです」と笑顔で語ってくれた。

●取材日 2019年9月