もちーと ひろしま
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輝く女性事例

「地域と人とのつながりを大切に共に成長」

イオンリテール株式会社 中四国カンパニー

  • 卸売業・小売業
  • 広島市
  • 301以上
社名 イオンリテール株式会社 中四国カンパニー
所在地 広島市南区段原南1-3-52
URL https://www.aeonretail.jp
所属・役職 人事総務部長
ご本人氏名 肥野 純子さん

(2019年10月現在)

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1995年~
ジャスコ株式会社(後にイオン株式会社に商号変更)に入社。加工食品売場担当として、売場づくりや在庫、売価等の管理を行う。その後、店舗での実務教育を担当する。津山店の副店長となる。主にお客様サービス(CS)、地域密着活動などを統括する。

2002年~
店長となり、幾つかの店舗に異動。三原店の店長として勤務する間に結婚し、2009年の1年間は産休育休を取得。

2010年~
復職にあたり広島府中店の人事総務課長となり、転居制限制度を利用して自宅のある三原から新幹線で通う。翌年からは同制度の利用を止めて単身赴任となり、約7年間で5店舗の店長を務める。

2015年~
2016年に新茨木店(大阪府)の店長として、大型店舗のリニューアルに携わる。

2018年~
中四国カンパニー人事総務部長となり、人事、総務、教育、お客様サービス全体の責任者となる。

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いろいろ任された新人時代、失敗し、もがきながらもチャレンジを続け

複数の店の店長を経て、現在は中四国カンパニーの人事総務部長として活躍中の肥野純子さん。
「ジャスコ株式会社(後にイオン株式会社に商号変更)は地元の企業であり、休日に家族と買い物をしたり、遊んだりした楽しい思い出がある場所でした」と、入社した動機を語る。(イオンリテール株式会社の企業記事はこちら

ある店舗の加工食品売場担当として仕事を始めたが、「発注ミスをしてしまって、トラックいっぱいの菓子が入荷されたときは、真っ青になりました。他店舗にもお願いして販売してもらうなどして、何とかなりましたが」と、新人時代の思い出を苦笑いしながら教えてくれた。

入社後1年半で、新規採用のパート従業員への実務教育を担当することになった。しかし、教える自分が最年少で入社間もないこともあり、自信がなく、遠慮がちになってしまったそうだ。「イオンでは、どんどん役割が与えられ、それに合わせて若手も成長を促されます。私は店舗での教育担当者でしたが、自分自身も周りに教えていただきながら、成長していったのだと思います。入社3年目には主任に昇格したのですが、他店舗の教育担当主任と比べて、焦ってばかり。この頃は、泣きながら仕事をしていました。しかし、上司に『失敗してもいいから、思ったようにチャレンジしてみなさい』と励まされ、とにかく前に進むことだけを考えました」と、若手時代を振り返る。

20代で店長に。結婚・出産を経て、産休育休を取得

2000年に津山店(岡山県)の副店長となり、主にお客様サービス(CS)、地域密着活動などを統括することとなった。「イオンの代表として、地域のさまざまな方々と交流し、連携した活動として、例えば津山市のゴミ削減活動に取り組みました。この頃の活動は今の私の原点のひとつであり、『地域とともに成長する店づくり』に注力するきっかけとなりました。地域の方々と積極的に意見交換をし、イオンがお手伝いできること、例えば町ぐるみで取り組む防災訓練や観光物産展などを提案し、実現する。多くの方が訪れるイオンと自治体、地域の産業や学校、他企業などと連携し、地域の振興につなげれば、結果的に店の成長とイオンブランド価値の向上につながると考えています」。

入社して8年目となる2002年に、早くも20代で太子店(兵庫県)の店長となった。「イオンでは、1990年代から店長である女性の先輩がすでにいました。太子店の前店長も女性。しかし、私は売場の担当経験は最初の1年半のみで、店長といっても分からないことだらけ。他店の店長に頻繁に電話をして助言を仰ぎ、店の部下にも聞いてばかりいました」。

その後、幾つかの店舗に異動して店長を務めるが、三原店で勤務中に出会いがあり結婚した。「地域密着活動に一緒に取り組む警察署長さんに、『肥野さん、いい人いるから紹介するよ』と言われて出会ったのが夫です」と笑う。その後、子供を授かり、妊娠8カ月目までは店長を務めた後、1年間は完全に仕事を離れた。そして、子育て中の母親として店舗を利用することにより、改めてお客様視点で店を見ることができるようにもなったと感じたそうだ。

家族と話し、ONとOFFを明確にするためにも単身赴任を決意

復職後は広島府中店の人事総務課長となり、転居制限制度を利用して自宅のある三原から通うこととなった。しかし、新幹線を使うも三原市から広島市への通勤が大変な中、子育てと新たな人事総務課長という仕事の両立を図ろうと悪戦苦闘。家族とも何度も相談し、転居制限制度を取り下げて、単身赴任をすることを決断した。「今のままでは無理。ONとOFFを完全に分けたほうが、両方に集中できてよいのでは。ロールモデルがいなければ、自分がなろう。自分なりの仕事の仕方をすればよい」と考え、週に1、2泊は帰宅して、密度の濃い時間を家族と過ごすという単身赴任生活を選んだが、これは肥野さん一家が決めた、幸せのスタイルだそうだ。

その後、幾つかの店舗に異動して店長を務める中、2015年に、「イオンDNA伝承大学」という、1年間の社内大学に参加することとなった。これは、岡田元也社長とのセッションを通じ、経営者として自分のアタマで考えることがテーマの次世代の経営者を育成する大学だ。「月に一度、幕張の本社で2泊3日の研修が行われます。岡田元也社長とのディスカッションなどがあり、かなりタフな内容でした。しかし、普段の業務では得られない経験をし、自分を大きく成長させる機会となり、『自らの頭で考え、自ら行動する』ということが受講後の私のテーマとなりました」と語る。

2017年に、高齢化社会に対応した「イオンスタイル新茨木」のリニューアルオープンを、店長として指揮した。肥野さんが注力する『地域とともに成長する店づくり』を体現する旗艦店に全力で向き合い、手応えを感じたそうだ。

人事総務部長になった今、一番やりたかった仕事を自分らしく

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2018年に、肥野さんは中四国カンパニー人事総務部長となり、人事、総務、教育、お客様サービス全体の責任者となった。「人事部長としては、企業の重要な財産である『人』を生かすことが重要な仕事。入口である採用から教育、配置をするにあたっては、個々人の活躍ストーリーを描きながら、一人一人が生き生きと働けるように、環境整備を含めて整えていきます。また総務部長としては、地域に密着した安全安心な店舗運営に力を入れています。人事総務部長として、人と人、地域と店舗を結び付けることができる、情報や人だってつなぐことができます。これは、今まで多くの店長経験があるからこそ取り組めるのではないかと思います」と言い、今の仕事が一番自分がやりたかったことだと、肥野さんは目を輝かせる。

また、後進へのメッセージとして、「管理職に対して漠然とした不安を抱える人もいると思います。しかし、“もやっ”としたよくわからないものに左右されるのはもったいない。初めての職位であれば失敗が多いのが当たり前。夢に向かって進めば、きっと仲間も増えていきます。ポジティブをモットーに一歩を踏みだしていきましょう」と、語る。これからも「地域と人とのつながり」を大切にして、イオンも、肥野さん自身も成長させていくに違いない。