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輝く女性事例

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「与えられたチャンスを逃さず、まず挑戦してみて」

株式会社広島銀行

  • 金融業・保険業
  • 広島市
  • 301以上
社名 株式会社広島銀行
所在地

広島市南区西蟹屋1-1-7
〔本店建て替え中のため仮店舗〕

URL https://www.hirogin.co.jp/
所属・役職・ご本人氏名

紙屋町営業部長 兼 窓口営業課長
日野 千佳子さん

人事総務部 担当課長
木下 麻子さん

(2019年9月現在)

1.紙屋町営業部長 兼 窓口営業課長 日野 千佳子さん

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1984年〜
広島銀行可部支店にて個人顧客向けの窓口業務に従事。二児出産後も、家族の力を借りながら仕事を続ける。出張所開設準備委員として、口座開設の営業も行う。

2000年〜
安支店・大手町支店勤務。窓口業務に加えて新人育成や係内の取りまとめを行う。

2006年〜
大手町支店で営業係責任者となり初めて部下を持ち、責任とやりがいを感じる。その後、監査部で業務監査役補として約100店舗へ裁量臨店(※1)を実施。

2011年~
西条南支店の支店長に就任。その後、五日市中央支店と大洲支店の支店長を務める。

2018年~現在
紙屋町営業部長 兼 窓口営業課長へ就任。全般統括を行う。

※1 各店の内部管理態勢の構築が適正に行われているかチェックのため支店を訪問

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産後8週で復職し、二児を育てながら働いた日々

紙屋町営業部長兼窓口営業課長として活躍中の日野千佳子さんは、広島銀行に入社し、35年となる。入社当時は今の役職や働き方は想像がつかなかったというが、明るく、そして前向きに着々とキャリアを重ねてきた日野さんのこれまでとこれからについて話を聞いた。(広島銀行の企業記事はこちら)

若手時代には、窓口係として、為替・預金等の窓口係を担当した。当時まだ受付カードがなかったため、いかにお客様に自分が担当する窓口を選んでいただくかが重要だったそう。朝から夕方まで喋りっぱなしの毎日だったが、多様なお客様と関わる中でコミュニケーションスキルを養うことができた。5年目以降からは、出張所の開設準備に携わるようになり、地図を持ち、一軒ずつ歩いて訪問し、口座開設の営業を行った。「金融機関の中で広島銀行を利用していただけることのありがたさを感じ、そして店舗に足を運んでくださるお客様への感謝の気持ちが増しました」と、日野さんは振り返る。

2.日野さん個人IMG_0649.jpg

日野さんは二人の子供を出産したが、当時は今ほど制度が充実しておらず、出産から8週間後には職場復帰をした。「結婚・出産後の退職が一般的な時代でしたが、入社後、16年間在籍した可部支店の女性の同期は4名とも結婚後も仕事を続けていました。身近に家庭と仕事を両立する仲間がいたことで自然に私も働き続けることを選びました。また、子育てについて母の協力を得られる環境にもありました」。

しかし、子育てと仕事の両立に苦労し、悩むことも度々あったという。「夜遅くに帰ることもあり、まだ小さな子供に寂しい思いをさせているのではと感じたり、体力的・精神的にきつい時もありました。しかし、『辞めることはいつでもできる。もう少し頑張ってみよう』と何度も自分に言い聞かせながら乗り越えました」。

一番子供のそばにいてあげたかった時期に、仕事をしていたことを、少し後悔している部分もあるという日野さん。この経験をもとに、各種制度が充実している今、子育て中はうまく利用して、働き続けてほしいと思っているという。

100以上の支店を見て、支店長像が描けた

入社から22年目となる2006年、大手町支店で営業係責任者となった。「初めて部下10名を持ち、責任とともに、自分の裁量で迅速に判断ができる面白さを知りました。2006年に設置された『女性いきいき協議会(※2)』などで、身近な女性上司が働く環境改善など、道を切り開こうと頑張っている姿を見ていましたので、自分がそれを閉じてしまうようなことはしたくないという気持ちがありました」。

その後異動した監査部の業務で、約100店舗を訪問した。業務としては大変だったが、さまざまな支店の環境を見ることができて学びも多かったという。「支店のカラーは支店長のカラー。支店長が明るいと、店全体の雰囲気も明るいんです。自分はどんな支店を創りたいかのイメージが湧きました」。

しかし、いざ支店長の辞令を渡されたときには、かなり戸惑ったそう。「不安になって、一人で泣きながら帰宅したのを覚えています。今までは、困ったことがあれば適切なアドバイスをくれる上司が常にいましたが、今後、自分が支店長として全責任を背負う覚悟が持てるか不安で一杯でした。着任まではプレッシャーを感じましたが、始まってしまえば前進あるのみ。今までの経験を生かして何とか支店長を務めることができました。また周りの協力にも救われました」。

※2 女性いきいき協議会…同社で平成18年に設置された「働きやすい職場推進委員会」の下部組織と位置づけられている。「働きやすい職場推進委員会」では従事者の活用促進に関する事項について検討が行われるが、「女性いきいき協議会」では女性に関わる問題に特化した検討を行う。(「女性いきいき協議会」の詳細は前回取材記事参考)

両立する上での心構えは「何とかなる!」

「仕事をして得たもの、失ったもの、それぞれありますが、私はこれまで働き続けてきて良かったと心から思っています。目の前にチャンスが訪れた時には、逃さず飛び込んでほしいです。『無理かもしれない。だけど、とりあえずチャレンジしてみよう』、こんな風に考えてみてください。また、仕事を優先して、子供をきちんと育てられなかったらどうしようと不安に思う方もいらっしゃると思いますが、『何とかなる』と伝えたいですね。子供は母親が頑張っている姿、うしろ姿を見て育っていく部分もあると思うんです」と、部長としてさらにステップアップした今、日野さんは広島銀行の女性管理職の一人として、後進の背中を押す。

2.人事総務部 担当課長 木下 麻子さん

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2001年~
東京の大手IT・広告関連会社へ就職。求人広告の営業担当者として外回り顧客訪問・新規顧客開拓を行う。2005年から新人育成グループのリーダーを担当。

2008年~
企画担当として商品企画、営業推進を行う。異なるスキルの習得が必要となり、ゼロからのスタート。2009年には第一子出産のため産前産後・育児休業を取得(半年間)。

2011年~
人事へ異動し、人材育成業務に従事。この間、第二子を出産。

2014年~
人材育成グループのマネージャーに就任。この間、第三子を出産。

2016年~
株式会社広島銀行に転職。人事専門担当者として社内制度改正の企画・運用を行う。2017年に採用・女性活躍責任者となる。

2019年4月~
人事総務部 担当課長となる。

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厳しい組織で鍛えられ、自らも育児との両立の重さを感じながら「人事」の道を歩む

木下麻子さんは、東京の大手IT・広告関連会社にて営業と商品企画を10年間行い、人材育成を5年担当。その後、夫の家族の介護サポートのために広島へ移住したことを機に、広島銀行に転職した。現在は、同行の人事総務部担当課長としてキャリアを積み上げながらも、プライベートでは3児の母として公私ともに奮闘する日々を過ごす。木下さん個人IMGトリミングサイズ変更済_0748 (1).jpg

「前職の広告関連会社の人材マネジメントポリシーは、『チャレンジorアウト』。常に挑戦が求められ、現状維持は許されない組織でした。新人の頃は、求人広告の外回り営業をし、クレーム対応や厳しい目標達成文化の中で、メンタル的に鍛えられました」と、若手時代を振り返る。

その後、就職ポータルサイトの商品企画や営業推進を経験後、人事に異動し、人材育成を担当。「大学時代に、日本企業の組織・人事・教育の問題を研究するゼミを専攻していたので、そもそも人事関連の仕事がしたくて、最初の就職先を選びました。人事では、研修の企画運営等をメインに、採用面接や制度運用にも関わりました」。

2009年に第一子を出産した直後は、残業もある中、両親に子育てを任せている状況にあったそうだ。しかし、自分の働き方と会社の働き方を変えたいと思い、当時社内で募集中であった「女性活躍・キャリア支援担当者」に立候補した。3人の出産が続く中で、成長意欲はあっても思うように仕事が回らないときもあったというが、「子育てと両立しながらでも成果を出す、またそのようなことができる環境を人事として創っていく」ことに、モチベーションを切り替えていった。

広島銀行では、今までの経験を生かし、採用や女性活躍推進などに取り組んでいる。「転職した直後は、異なる環境で正直慣れないことも多くありましたが、コミュニケーションをできるだけ大切にし、ようやくなじんできたように思います。また、上層部の方々が人や組織が変わることを受け入れ、面白がってくれる雰囲気も感じており、とてもやりがいがあります」と、変革時期にある銀行業界へ飛び込んだ様子を教えてくれた。

「本来は、一人ひとりが固有の能力を最大限に発揮する延長線上に、組織としてのパフォーマンスがある。それらを尊重することが女性活躍やダイバーシティだと思います。私の思いは昔から変わらず、性別や年齢など問わず、また子育てや介護の有無など問わず、全員がなりたい自分、やりたいことを堂々と実現することができる世の中にしていくことです。一人ひとりの個性があり、違いがあって当たり前ということに気づいてもらえるきっかけとして、これからも向き合っていきたいと思っています」と話してくれた。

木下さんは、「広島に来てから、やりたいことがいっぱいです」と、登るべき山がはっきりと見えているようだ。「広島銀行が変われば地域が変わる。広島が変われば日本が変わる」、地域の発展をミッションと考える銀行の女性課長として力強く話してくれた。